豆知識

ここ見てる一部のヤツしか知らんと思われる用語を
親切な俺が教えてやる。
まずは曹彰*1
次にチャガタイ*2
以上。

*1:曹操の次男。父の武勇面を引き継いだようで、腕力が強く、若い頃は武芸に夢中、素手で虎を倒すほどだったという。行驍騎将軍に任じられていたが、父・曹操死後、十万の兵を率いて長安へ来た。しかし賈逵に説得されて曹丕と面会。そのまま引き下がり任地へ戻った。だが、この行動をきっかけに曹丕は強い疑念を抱くようになり、迫害を受けた。二二三年病没

*2:チンギス=ハーンの次子、チャガタイ=ハン国の祖。出生に疑念があったとされる兄・ジュチとは後継者選定の場で激しく対立するなど険悪な関係にあり、一族の和を重んじるチンギスからも後継者候補から外されたがその一方で一本気で厳格な性格を見込まれモンゴル帝国の法律・ヤサの管理を任されている。チンギスの時代は金朝遠征・大西征に従軍、後者ではイナルチュクの守るオトラルを攻略したがホラズム首都のウルケンジ攻略戦はジュチとの対立で軍の統制を乱しオゴタイの救援を仰いだ。その後所領として西遼の旧領を与えられ、イリ河畔・アルマリクを拠点とし、この地のヤサ遂行を徹底した。ちなみにこの地はイスラム教徒が多く、モンゴルの習慣に基づくヤサ法とイスラムの慣習が相反する箇所が多かった為にヤサの遵守を強制されたイスラム教徒はチャガタイを恨む事となった。チンギス=ハーンの死後はその遺訓に従いオゴタイの即位を支持。兄弟の年長者として重んじられオゴタイからも政策決定に関して相談を受ける事が多かったが、過度の酒色が元でオゴタイの死後その後を追うように没した。ジュチとの対立やイスラム教徒へのヤサ遵守の強制で他人に厳しすぎる印象があるが、その一方で臣下としての分をわきまえており酒席でオゴタイ=ハーンの尊厳を傷つけた行為をした時には罪人としての処罰を求めてオゴタイの遠慮にもかかわらず自らを罰している。自分にも厳しい一本気な性格の人物であったといえよう。激動ユーラシアより引用